「吾唯足知」という文字を見たことはあるでしょうか?
この文字は、京都の龍安寺の蹲踞(つくばい)に刻まれている文字です。
下の写真にあるものは、祖父からいただいたもので私の宝物なんですが、このように、四角を共有すると上から時計回りに「吾唯足知(われただたるをしる)」と読めます。私の座右の銘でもあります。

もともとは老子の教えからきていて解釈は人によって違うようですね。
普通に訳したら、
「私は満足である状態を知っている」
みたいな感じですかね。
つまり、
満足することを知っている人は貧乏でも幸せであり、満足することを知らない人は金持ちであっても不幸である
という意味だと思います。
この満足することを知るということは、幸せに生きるためにはとても大切な事だと思います。
では、「満足」とはいったい何でしょうか?
おそらく多くの方は「満足」というものを相対的に感じているのではないでしょうか。
たとえば、女性の方に聞きたいのですが、どうしてブランドもののバッグを買うのですか?
中には、使いやすいからという理由で買う人もいるとは思いますが、大多数の人が、
- 自分の価値を高める
- 皆が持っている
- お金持ちに見える
- 優越感を味わえる
など、そんな理由だと思います。
極端な話、地球上に自分ひとりだったら、ブランドもののバッグでも、安物のバッグでも、使えればどっちでもいいですよね。
使いやすさでいったら、安物のバッグの方がいいかもしれませんよね。
最近では、バッタもんだとわかってて使っている人もよくみかけます。。
少し話はそれましたが、このように多くの人は、他人と比較して価値があるものを手に入れることによって自分の価値をあげようとしています。
でも、これでは本当の意味で、自分を満たすことはできないんですよね。
私の場合も、小学校の時から大学生でアトピーになるまで、常に他人と比較して生きてきました。
勉強でも、スポーツでも、周りからよく見られたいとか親や先生からよく思われたいとかそんな理由で人一倍頑張ってきました。
おかけで中学校までは、努力でなんとかなりましたが、高校生になると上には上がいて努力だけではどうにもならないんですよね。
当時は、ゴールのない道を永遠に走っている感覚でしたね。
そんなとき、アトピーとなって「こんな生き方は自分を苦しめるだけだよ」と私に気づかせてくれました。
アトピーには本当に感謝しているんですが、このように、他人と比較し、自分に足りないものを追い求める人生では一生満たされることがないんです。
では、どうすれば本当の意味で満たされるのか?
それは、
ありのままの自分を認めて、そのうえで、どんなことをすることが喜びなのか?そのためにはどうすればいいのか
を考えて行動すればいいのです。
足りないものを補うのではなく、今あるものを大切にするのです。
こうすることで、自分が大好きになり何かを手に入れることで自分の価値をあげようとしなくなります。
ぜひ、あなたも今のあり方を見つめなおしてもらえればと思います。